木を扱っています。といっても漠然と、,,,

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nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2013年4月18日木曜日

木造建築のこれから、、、

NHK クローズアップ現代を見た。昨日は、あいちのきで家を造る会 シンポジウムがあった。大きなテーマは、木造建築はこれからどこへ向かうのか。私の見た結論は、集成材が木造建築の主役になるのだろうと。無垢の木材はどこへ行くのだろう?理由は、市場の脅迫。市場が建築構造の保証の明確化を求め、それを誰が担保するか、と言う問題。ちょうど、医療で訴訟保障問題が小さな医療現場を駆逐するのと同じく、リスクヘッジ可能な大きな企業しか残って行かれない。馬鹿正直な誠意ある大工の棟梁は伝説だけになる。

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写真上:これだけは無垢で使われるだろうと想われた、土台、母屋角まで手間暇掛けた集成材に。土台は桧の芯付き節物(こちらの辺りでは)、母屋角は安価材を回していた。それが、市場の脅迫を恐れるがごとく、強度保証表示のついた集成材が使われる。

写真下:一方、下は大手集成材メーカーの材料土場である。集成材用に近隣から丸太を集めている。径級に関係なく手当たり次第に集めているようだ。20cm未満から40cm超えくらいまで雑多に積んである。丸太1本ごとを見られることもなく、径級等級、個性を無視して、すべてをほぼ同一寸法に製材されて集成材となる。

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あいちの木で家をつくる会のシンポジウム、提起された問題は、公共建築物の木造化に対して、木造建築の構造を誰が設計し、部材強度を誰が保証するのか。そうなると大手集成材メーカーにしか実現できない。そうして出来た物を、木造建築に携わった物が見て、木造建築、と呼ぶだろうかということ?

なぜ、集成材メーカーが席巻するのかというのは、全品の強度測定をしているからである。ラミナで計測し、積層し、材の強度を確定する。唯一強度保証された木質建材を出荷できる。無垢の木材、梁桁は、”無等級材"としなる。生産者は材料用途や強度を保証しない。

かつて建築をやっていたときの出来事。東海地方のおおよその地域は、比較的大きな断面材を使っていた。中小ビルダーは、常識的な最低寸法の断面寸法を伏せてきた。大工の手がける物件は、家の主張する格もあって一回り大きな断面材を使う。また、必要強度に関係なく、大きな断面ばかりを並べた物件も多くある。”となりが倒れてもここだけは残る"、と頭領が自慢する物件である。

その辺りが常識と考えていたところへ、東京や神奈川の顧客が現れた。彼らの指示する梁伏せに驚いた。12cm~15cm成りの梁桁がたくさん使ってある。曰く、柱のあるところは、梁で保つ必要がないのだから最低寸法で良い、という。しかし、刻んだ材を見てほしい。15cmの梁に、上下から6cmづつほぞ穴が空いて、側面から3.3cmの仕口の切削があると、どれほどの身が残るか。たしかに垂直荷重は問題ないとしても、たとえ火打ちがあったとしても水平にも荷重はかかる。さらに、そこに節が必ずない、とは限らないのだ。この点はプレカットの欠点で、大工なら材を見て節をよけて仕口を作るが、プレカットの機械には目がないのだ。さすがにそれは聞き入れることは出来ないので、胴差しはせめて18cmを使わさせてくれと言った。

地域ごと、工務店、大工とその構造に大きな開きがあっても、それぞれ家としての役割をきちんと担っていた。大きく聞こえてこないような問題は有っただろうと推測するが。その時代にだれが家の構造を保証していたか。大工である。数字はない。師弟間に代々引き継がれた技法の中で、”かつてこれで倒れた家はない”という事実がそれを担保している。地を見て、村を見て、暮らしを見て、風を見て、材を見て、刃物を見て、材から家を生み出す。大工が、倒れない!といえばそこは終生の住処になる。手順にかかわらず、医者が残念です、といえばそれは天命の寿命なのだ。もし手はずが違っていたら、と思うのは悔やみからの妄想に過ぎない。だれも賄うことは無いはずだと思うのだが。

かつて木材乾燥の必要が言われたとき、製材所も出荷材の強度等級を保証しなければね、プレカットも刻み前に強度測定をしても良いかもしれない、と話し合った、15年前のこと。結局実現しなかった。

経験則や歴史的な実績を誰も信じなくなった。積み重ねられた事実よりも、根拠を知ることなく法条のみで信頼をする。構造計算のあたらしい根拠が正しいという事実はない。かたや、何百年もこれでやってきた、だからといって未来への保証はない。未来のことは誰にも判らない、どれを信じるかはその時代のムードにすぎない。

いまいちど言おう、ある時代では、大工のそれが絶対的に正しかったのだ。多くの場面で、”任せておきなさい、” ”まかせたよ” という呼応がなくなった。

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