木を扱っています。といっても漠然と、,,,

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nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2011年3月24日木曜日

東北大震災へ行く~1

1:私の暮らし

14日早朝に出て夜仙台へ着く。中央道、関越、北関東道、東北自動車道と走る。災害ボランティアのベテランに着いていった。仙台では紹介のあった仙台東別院に東別院系列のボランティアセンターがあって、そこへ泊まった。水道はあったが、ガス、電気が無く、寝袋にくるまって幼稚園の2階、板の間で寝る。服を着たまま、ジャンパーを着たまま寝袋へ入る。朝方寒くて震えが来る。外は雪。風呂無し、着替え無し、石けん無しの始まりである。店はどこも開いてない。食料は買えない、水は買えない、燃料は買えない。自販機にはコールド飲料が残ってる。1万円札が使えないのが悔しい。

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15日、持って行った500リットルタンクに水を汲み、できたての仙台のボランティアセンターへ行く。仙台の東別院で水を汲んで、名取市の小学校へ水500リットルと支援物資を運ぶ。仙台港へ行って惨状を見る。仙台の東別院で寝る。

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16日、水をどこへ持っていったらいいかを尋ねる。名取市の病院で透析用の水が無くて困っているというので、運ぶ。名取市の小学校へ行き、暖房用の薪をせっせと伐る。仙台の東別院へ帰って寝る。

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17日、その実績を持って県警へ行き、災害救援のお墨付き書面をもらう。これで高速道に自由に乗れて、災害車両用燃料が頂ける。県庁のコンビニで一人3点限定の買い物が出来る。せんべい2袋を買う。夫婦とすれ違う。”こんな時にたばこを買うなんてなんて人なの!”とケンカしてた。石巻から女川へ向かう。石巻は石森章太郎の故郷だ。女川の病院へ水を届けるが、その奥の中学校へ持って行ってと言われる。女川は20mを越す高さの津波にあってさながら焼け野原のよう。夕方仙台へ戻る。ボランティアセンターの講堂の床で寝る。

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18日、女川へいく。体育館の隅で床に寝袋、毛布で寝る。毎晩2-3回地震が揺する。寒い訳だ、雪が積もった。

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19日朝、女川町へ行く。チェンソーでひたすら残材を切る。薪作りだ。黙々と作業する。

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20日、女川町。午前はチェンソーで薪作り。それから看板作り。午後、南三陸町へ行く。自衛隊、報道、救急隊で賑やかなこと。支援物資が民間、業者、自衛隊と次々と届く。

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21日、南三陸町で、支援物資の荷下ろし、積み込みを手伝う。ひたすら荷役作業をする。体育館の隅で寝る。

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22日、南三陸町で、支援物資 の荷下ろし、積み込みを手伝う。ひたすら荷役作業をする。体育館の隅で寝る。

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23日、南三陸町。午前は医療部の目隠し衝立作り。帰路へ着く。~午後から登米市に送ってもらう。バスで仙台へ向かう。

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登米市にも何もない。コンビニは開いてたが、水、食料、電池がない。携帯充電用電池を探す。

24日、朝9時のバスで東京へ。仙台は普通に見えるが、コンビニは開いてない。東北道は渋滞もなく7時間で東京駅へ。群馬のパーキングでは、何でも売っていた。ここはもういつもの生活。時空を渡った感じがする。

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