木を扱っています。といっても漠然と、,,,

自分の写真
nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2011年12月12日月曜日

ワリバシカンパニー、飛彈製箸。

箸造りのプロいわく、”売れるの?売れないよ!” という箸を、現実には買ってもらうことが、私たちの国の未来を想う事につながる、というお話し。

山登りをする。上の方では250円のジュースが、ふもとでは120円で買える。だから麓でジュースを買って登る?山を登りながら250円の意味を考える。250円の価値を意識する。そこに有る小屋への感謝と支えたいという想い。250円のジュースを買って、休憩場所代を置いてくる。想いが加われば、そのコストは納得でき、妥当になる。

間伐材の箸を売りに出す。あちら製の箸に劣る精一杯の品質には、あちらの箸ではなく、この箸へ特別な想いがある。そういった考え方が広まらないと、私たちの将来を憂うことになる。暮らす人、住まう人、私たちを支えてくれる様々を思い出すとき、何にいくら払うのか、という価値が変わる。単に物の価値、それに払うと言うより、それが支えてくれるその先の物の価格を、誰もが意識するとき、「未来の経済が廻る」ときだと想う。

私たちに出来ること、私たちだから出来ること。

たかが箸、値札を見ての直感ではなく、立ち止まって想いを込めて選びたい。

2011年7月21日木曜日

岩手陸前高田の、つながり、ぬくもりプロジェクト

陸前高田市 米崎保育園に太陽光発電パネルを設置しました。75kw x 140枚

私もお手伝いしました。あついあつい。「長袖着なくちゃ。そこらに触ったら火傷するよ」と。

東北災害 つな・ぬくPJ 陸前高田 米崎保育園 2011-7-15

それから、松沢さんは南相馬へ向かいました。

東北災害 つな・ぬくPJ 浪江町 吉沢牧場 2011-7-16

代理で紹介します。

2011年7月16日土曜日

東北支援、組手什から松沢合流まで、

東北、岩手、陸山高田へいきました。7月9日~12日は、組手什支援として。12日から16日までは、松沢さんの、米崎保育園へのソーラーパネルの設置を手伝いました。ソーラーパネル設置に3~4日見ていましたが、天気次第で雨が続けば仕事が伸びる、という話しでした。とってもラッキーなことに向かったその日に東北も梅雨明け、暑かったけど、雨よりはまし。

1週間、テレビ無し、新聞無し、パソコン無し、携帯が切ったり付いたり、という生活を送ってきました。とはいえ、前回とはがらりと変わって、おいしい食べ物はある、コンビニはある、風呂は入れる、選択は出来ると、夢の様な、失礼、確実な復興を感じてきました。一方、毎日地震が揺すり、まだまだ不安を忘れられない状況でした。

おもに松沢さんとの活動です。

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これが車。仮設店舗に止まって買い物。手前が製氷機、保育園の洗濯機が2台あって、奥が松沢さんの洗濯機。分岐ホースも持参。

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米崎保育園の講堂。床は樹脂シート。舞台框は、杉集成。額縁は赤松集成。

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アルミ枠を屋根に固定し、パネルを嵌めていく。結線すると電気が流れる。ソーラーパネル自体は、メーカーからの寄贈品。ただし、保証対象外、と書いてある。右は朝早くの寝床。こんな感じで、私は雑用をこなしてきました。

2011年6月9日木曜日

組手什(くでじゅう)の寄贈、聞こえるように独り言

nagasaka です。組手什おかげまわし東海で、東北被災地へ組手什を送っている。やっと2千本。今の発注済みが3千5百本だから、目標1万本の半分は行きそう。

資金的にはつらいところだし、みなさんそれを心配してくれる。で、まあどこまで損が行くか、どこまで補填できるか、ひょっとするとそれ以後の儲けに化けるのか、そういったことを想いながら1万本は送ろうと思っている。そのために出来る手段を相談しながらすすめていこう。

何かする度に新しい経験が積めるし、新しいご縁と貸し借りが出来る。それは利得で、それがまた人生の次の時間を豊かにする。大変なことをすればするほど多くの人が関心を示してくれるし、とんでもないステキな人とも会える、善悪は別にして。それらの合計がどれだけの重さになるかは判らないが、しかし少しは損得のバランスの宛てになりそうだ。つまり、想い様で元は取れるのだ。

組手什が今ほど必要とされる時は、もう無いかも知れない、とも思いつつ。今作らなくてどーするの?もしかしたら、せっかく産み出した組手什が人知れずマイナーに埋もれてしまうかも知れなかったのだ、と想ってみたりする。となると多少の冒険は楽しまないといけないと感じている。聞く耳さえ持たなければ、自分の思い様で幸せにも不幸にもなるのだ。そういう意味で幸せなどと言う物はちょろいものなのだ、私流にはね。これは脱線だ。

さて、組手什だが、うがった見方からすれば、何を送っても喜ばれる状況なら、組手什の素朴さは受け入れられそうだ。組手什をどれだけ世に出せるか、いくらでも受け入れてくれる機会は今をおいて他に無い。だからやれるところまでやろうと決めている。まあ、もらう方はタダだから抵抗はないだろう。モニターに出しているみたいなモノだ。震災が無ければそんなモノとても受け入れてくれない。だからこれは、天の采配なのだ。東北は一番組手什密度が高くなる。

これからの組手什の寄贈に対して、単独でやらねばならなくなりそうだ(やっかいな言い回しだが)。千本で約20万+手間賃持ち出し。これが巡り巡って私を躁にするか、鬱にするか。そう、私の棺桶を組手什で作ってもらう様にここで遺言しておこう。誰が作るだろうか。

そういえば、相馬市かどこかで未だに仮設住宅の建設が進んでいないと言っていた。体育館の段ボール間仕切りと床に置かれた飲料ボトルと化粧品。組手什の棚一つでも、休める場所が広がるし、蹴ってしまう心配をしなくてよい。組手什を送りたい、だから続けようとなる。

さて、募金と助成金を当てにしよう。原発黙認補填金受けます。

2011年3月29日火曜日

東北大震災へ行く~3

被害と人々

仙台市、若林区、名取市、宮城野区へ行った。津波のあったところを無いところの差は大きく、その境界がはっきりと判る。店は全て閉まっていて、何も買えない。電気と水がなく、支援物資受入と炊き出しで忙しい。何と言っても明かりが無く、夜がとても寒く永い。

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仙台から石巻、石巻港は工業地帯だが壊滅状態。石巻市役所は海岸からやや離れていたが、道路には魚も横たわっていて、潮の香りが鼻を突く。市役所は避難所になっていた。石巻は石森章太郎の生地。駅前には漫画作品のオブジェがある。いずれゆっくりと訪れたいものだ。

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女川町では、消防隊員に助けられた犬が居た。足を引きずっていたが元気に鳴いていた。この辺りではチリ地震,津波の教訓で、小中学校は高台に建てられている。水面から20mの高さという。しかし入り江になった女川町では、その20m直前まで津波が登ったという。入り江になっているところは、津波が渦を巻いて山へ登り掛かったと言っていた。

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志津川町から南三陸町へ。ここも壊滅状態。

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非常時にトイレはとても大切と感じた。南三陸町では、ちょうど長野からのボランティアが屋外トイレを作っていた。穴を深く掘り、そこから溝を堀り便器を据えていた。そこを建家で覆う。これは覚えておかないといけない。

それと暖を取るのは薪。寒い時期なので薪集めは大切な作業だ。元気なのはボランティアだけ。地元の人を励ます方法がない。

2011年3月27日日曜日

東北大震災へ行く~2

物資などのこと

災害時には3日を我慢する、4日目から物資が届く、1週間で満杯。物資をさばかないと溢れる。物資は、出入りの調整は出来ないので、待ったなしだし、最も必要な時期はいつも今なのだ。

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公平性だとか、平等、に捕らわ れると、物資をさばけない。法律や規則は、考えないために作られている。ものをコンベア的に流すための制度だ。非常時には法律や規則は妨げになる、基盤がないのだから。それに、係担当、指令系統だって、公平に選ばれた分けじゃない。

基準は良心、に頼るしかない。一人一人が考えないと、規則通りに進めていくとどこかで行き止まる。相互信頼で事を進めていかないと、末端に行き届かない。欲しい人にはあげる。その人はきっと隣の人にあげるだろう。

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非常用物資もたくさん放出された様だ。海外からのものも。中国から寝袋と毛布~軍隊用の様だ~がたくさん来てた。中から便利そうなものをピックアップ。

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3日分の非常食料セット。 27食分、10年間常温保存可。イメージ写真が良すぎる、、、。気分も大切だし。

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水の要らないシャンプー

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トイレ。一番最初はトイレだ。穴を掘る、深く掘る。次々と掘る。

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飲み水。備蓄用が大量にあるらしい。

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手回しライト、ラジオ。ラジオはやはり必需品だ。

2011年3月24日木曜日

東北大震災へ行く~1

1:私の暮らし

14日早朝に出て夜仙台へ着く。中央道、関越、北関東道、東北自動車道と走る。災害ボランティアのベテランに着いていった。仙台では紹介のあった仙台東別院に東別院系列のボランティアセンターがあって、そこへ泊まった。水道はあったが、ガス、電気が無く、寝袋にくるまって幼稚園の2階、板の間で寝る。服を着たまま、ジャンパーを着たまま寝袋へ入る。朝方寒くて震えが来る。外は雪。風呂無し、着替え無し、石けん無しの始まりである。店はどこも開いてない。食料は買えない、水は買えない、燃料は買えない。自販機にはコールド飲料が残ってる。1万円札が使えないのが悔しい。

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15日、持って行った500リットルタンクに水を汲み、できたての仙台のボランティアセンターへ行く。仙台の東別院で水を汲んで、名取市の小学校へ水500リットルと支援物資を運ぶ。仙台港へ行って惨状を見る。仙台の東別院で寝る。

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16日、水をどこへ持っていったらいいかを尋ねる。名取市の病院で透析用の水が無くて困っているというので、運ぶ。名取市の小学校へ行き、暖房用の薪をせっせと伐る。仙台の東別院へ帰って寝る。

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17日、その実績を持って県警へ行き、災害救援のお墨付き書面をもらう。これで高速道に自由に乗れて、災害車両用燃料が頂ける。県庁のコンビニで一人3点限定の買い物が出来る。せんべい2袋を買う。夫婦とすれ違う。”こんな時にたばこを買うなんてなんて人なの!”とケンカしてた。石巻から女川へ向かう。石巻は石森章太郎の故郷だ。女川の病院へ水を届けるが、その奥の中学校へ持って行ってと言われる。女川は20mを越す高さの津波にあってさながら焼け野原のよう。夕方仙台へ戻る。ボランティアセンターの講堂の床で寝る。

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18日、女川へいく。体育館の隅で床に寝袋、毛布で寝る。毎晩2-3回地震が揺する。寒い訳だ、雪が積もった。

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19日朝、女川町へ行く。チェンソーでひたすら残材を切る。薪作りだ。黙々と作業する。

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20日、女川町。午前はチェンソーで薪作り。それから看板作り。午後、南三陸町へ行く。自衛隊、報道、救急隊で賑やかなこと。支援物資が民間、業者、自衛隊と次々と届く。

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21日、南三陸町で、支援物資の荷下ろし、積み込みを手伝う。ひたすら荷役作業をする。体育館の隅で寝る。

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22日、南三陸町で、支援物資 の荷下ろし、積み込みを手伝う。ひたすら荷役作業をする。体育館の隅で寝る。

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23日、南三陸町。午前は医療部の目隠し衝立作り。帰路へ着く。~午後から登米市に送ってもらう。バスで仙台へ向かう。

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登米市にも何もない。コンビニは開いてたが、水、食料、電池がない。携帯充電用電池を探す。

24日、朝9時のバスで東京へ。仙台は普通に見えるが、コンビニは開いてない。東北道は渋滞もなく7時間で東京駅へ。群馬のパーキングでは、何でも売っていた。ここはもういつもの生活。時空を渡った感じがする。