木を扱っています。といっても漠然と、,,,

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nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2010年6月10日木曜日

ノーベル賞受賞者の精子バンク 早川文庫 2

2回目の投稿は、読後である。表題のバンクを通じて生まれた子供はどうなっているのか、予想通りに人類の未来に貢献するのだろうか、それとも。

臓器提供に関わる多くの規定では、ドナー(精子提供者)は秘密となっておりレシピエント(提供された人)と接触は出来ないことになっている。これは現実の人の社会構造へ及ぼす影響を回避するものである。精子および卵子バンクは養子縁組の一つには違いないのだが、まだ形のない一つの細胞の血縁や親族をどうやって築くのかを、誰も決められない。だからいまは、見知らぬ捨て子を育てている、という状況になっている。

この本のテーマの一つに、ドナー探し、がある。レシピエントがドナーに会いたいという。この場合は精子バンクの話しなので、探したいと言っているのは母子で、ドナーたる父親に会いたい、と言う事である。レシピエント母子は、どこかにいる自分の父親(精子提供者)が、本来自分たちに向けられるべき愛情を、行き先もなくもてあましているはずだ、と思っている。もし会うことが出来たならば満たされなかった愛情に暖かい物が注がれて、素敵な時を互いに送ることが出来るだろう、それ以後永遠に続くはずだと信じている。これは普通の養子縁組みや親を亡くした子と何ら変わりはない。今ここにいない者が、自分の満たされない物を大切に預かってくれている、と言う思いに駆られる。でもそれは、誰だってほとんど全てのヒトが持つ欲望である。だから今持ってない物ならなんでも欲しいのだ。

しかしそれは、ほとんど全ての場合無い物ねだりだ。ヘンデルとグレーテルの探し得た青い鳥同様、幸せとは誰かがどこかにそっと仕舞っておいてくれるものではなく、接し合う者が互いに育ち育てていくものなのだ。気使いが気にならないからこそ安らぎや情が通じあえる。

この本でもそれは同じで、探し得たドナーとレシピエントは、一瞬喜びに震えるが乾いた砂の上の水の如く、またたくまにそれは消えていく。確かにあったはずなのにどこへ消えたのか、それとももともとなかったのか迷うほどだ。しばらくするとその訳に気付く。そもそも精子バンクへのオーダーとは何だったのか。いろいろ訳ありには違いないが、父親の存在を不要との判断の末だったはずだ。そして父親が居ない分だけの多めの愛情を、母は子に与えている。おそらく他の親子より、さらにずっと切なる望みと努力の末に授かった子供のはずだ。人工授精なら着床、発生は大変ラッキーなできごとで、全て外れは良くあることなのだ。それだけの執念と期待と手間とお金を注ぎ込んだ末に授かった子供は、少なくとも世界でもトップクラスの愛情を、母親から捧げられていることだろう。望まれて産まれる子供はそう多くはないはずだ。

一方、ドナーはどうだろう。一度の射精で億単位の精子を、若い人なら毎日でも提供できる。この場合はノーベル賞受賞者の、、、とあるからには受賞後の精子だろうと思われるが、この規定は早くに破綻していたそうである。ドナーがその精子の行く末を気に掛けて未練たっぷりに精子を提供した、ということが想像できるだろうか?もしそういった事が気になるのであれば、おそらくドナーへの登録を拒否したことだろう。表題のように年老いてもなお輝かしい功績を次世代の子供に託したい、と執拗に燃えるドナーであればいざ知らず、そこそこの若者で優秀でかつ愛情を持ち合わせていれば、普通の結婚を望むかかなり譲っても顔見知りの恋人に産ませるだろう。つまり、精子は愛情の対象にはならない。子への愛情には少なくとも暖かい吐息とリズミカルな鼓動が必要なことだろう。ドール愛好家には失礼だが。

この本でも正体が割れるのは、無責任でプレイボーイで家族が煩わしいと言うとても尊敬するなどはあり得ないドナー達である。唯一幸せの入り口の鍵は父親がもっている、という期待はことごとく破られる。その鍵は煩わしさへの更なる入り口なのだ。そして親子はまた、その扉を閉める。鍵を掛けて鍵はもう2度と手に取ることはないところへ廃棄される。長年追った青い鳥は追うべきではなかったので、ずっと飼っていた青くない鳥が幸せを運んでいた。

特別な家族、特別な親子、特別な親族なんていない。始まりがどうで、最初が他の人とどれだけ違っていたって、長い時を同じように過ごせばそこに同じような愛情が育ってくる。互いに受け入れ合う関係と、ちょっとのいさかいをたくさん過ごしてなお受け入れ合う時の長さが幸せの関係を築いていく。

仰々しいお祭り騒ぎの末は、大きな生態系の中ですごすヒトの生活があるだけなのだ。

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