木を扱っています。といっても漠然と、,,,

自分の写真
nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2010年4月2日金曜日

プライスレス

都市の森再生工房は、儲かっているか、と言う課題に触れる。使ったお金と入ったお金の差、それが儲かるか、と言うことである。かかったお金は、運賃、製材費、何度かの桟積み手間、加工、ゴミ処理、、、。売り上げは板であったり、丸太であったり、ベンチ、机、など作品であったり。足して引いて、残高?

と言っては愚痴を書くだけになってしまう。儲かっていないからやめるか?用がないから捨てるか?押し入れの奥の秘宝の数々はどうしてしまってある?座敷は何のため?接待?、、、、、お金で買えない価値がうーんたくさんありそう。貯金残高が減っていくからやめよう、、などと言うことは言うほど容易ではない。つまり、”判っちゃいるけどやめられない”ことが世間にごまんとある。誰もがそうだ。やめられないのはそこに”やめたくない意思”があるから。その意思を発現し、頑固に押し通す偉大な何かがそこにある。

数字だけではないのだ。ありきたりの結末に向かって話は進む。お金以外の多くの物がたくさんまとわりついて、それはお金以上に快感物質の分泌を促す。雑多な私的マイナーコレクション、家並み値段の車、アクセサリーに痩身具、髪染めに毛先の艶。有名な銘木、偶然に綺麗な杢目、、、、、。あえて計算したくない物の数々。価値って何?誰もが他人のそれをくだらないと言い、誰もが自分のそれをかけがえの無いものという。むしろそういったものに生活は支えられている。そう言ったくだらないモノのために目の前の食材がのどに通らないこともある。まずは喰ってから考えよう、とするけど、”判っちゃいるけど~”なのだ。ハンバーガーの栄養よりもスマイルの方に価値を感じる人もいるらしい。

都市の森再生工房 を続けているにも実はそう言った多くのしがらみなのだ。看板に寄ってきてくれて様々励ましてくれる人々や、くだらないことを手伝ってくれる人。あちこちから仕事や要望を届けてくれる人、助言やアドバイスは内容よりも頂けること自体が嬉しく、感謝すべき事なのだ。だから、そう言ったものが途切れたとき、終わるのかな。全てのシャッターが完璧に降りきった時、商店街が消えるようにね。

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