木を扱っています。といっても漠然と、,,,

自分の写真
nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2010年12月29日水曜日

組手什のポスターと販売

組手什(くでじゅう)という、杉胴縁材(断面寸法40x15)をつかって組立部材を製作しました。イベントが2件あって、ようやく落ち着いてきました。

在庫も出来ました。

組手什三河材を是非、ご利用ください。

 

組手什おかげまわし東海ポスター2

2010年7月16日金曜日

ウッドプラスチックテクノロジー社

テレビで、安藤直人先生の話題をやってた。その中で少しだけウッドプラスチックの話題が出ました。

木くずとポリプロピレンを混合混練してホットプレスし成型物を造る技術です。同じ理屈ですが、ミサワウッド、アインのネオウッドは、PPと微粉砕木粉(0.5~0.2mm)を同じ手順で成型しています。

ココの例で新しいことは、木質にプレナークズを使っていること、ペレットを使っていることです。木材とプラスチックを”混ぜる”ことはいろいろと困難があります。水と油ということ、嵩比重の差のことです。水と油の件は親和剤を入れます。おがくずとPPは重量比で1:1を入れますが、おがくずの嵩比重は0.01以下ですからまんべんなく混ぜるのは大変です。使う体積を減らすために一部のメーカーでは比重の重い広葉樹のおがくずを使っています。それに対し針葉樹ペレットを使うメリットは大きいのだろうか。

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混練は、オーガの1~2軸押し出し機をつかってる。

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コンパウンドができました。

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ホッとプレスで試作板をつくる。

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板は、かなり丈夫そうだけど、重そうです。

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手では持ち上がらない重さかも知れないけど、立派なパレットです。実物を見に行きたいな。岡山です。

2010年6月11日金曜日

林業基本計画への提言 川村 誠先生 H22年6月19日

6月19日(土) 伊勢三河湾流域サロン(国際センター東側)にて、座談会を行います。

“木の家づくり”から林業再生を考える委員会、で養老孟司さんと活動して見える川村誠先生を迎えて、森林、林業基本計画への提言、を語って頂きます。

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2010年6月10日木曜日

ノーベル賞受賞者の精子バンク 早川文庫 2

2回目の投稿は、読後である。表題のバンクを通じて生まれた子供はどうなっているのか、予想通りに人類の未来に貢献するのだろうか、それとも。

臓器提供に関わる多くの規定では、ドナー(精子提供者)は秘密となっておりレシピエント(提供された人)と接触は出来ないことになっている。これは現実の人の社会構造へ及ぼす影響を回避するものである。精子および卵子バンクは養子縁組の一つには違いないのだが、まだ形のない一つの細胞の血縁や親族をどうやって築くのかを、誰も決められない。だからいまは、見知らぬ捨て子を育てている、という状況になっている。

この本のテーマの一つに、ドナー探し、がある。レシピエントがドナーに会いたいという。この場合は精子バンクの話しなので、探したいと言っているのは母子で、ドナーたる父親に会いたい、と言う事である。レシピエント母子は、どこかにいる自分の父親(精子提供者)が、本来自分たちに向けられるべき愛情を、行き先もなくもてあましているはずだ、と思っている。もし会うことが出来たならば満たされなかった愛情に暖かい物が注がれて、素敵な時を互いに送ることが出来るだろう、それ以後永遠に続くはずだと信じている。これは普通の養子縁組みや親を亡くした子と何ら変わりはない。今ここにいない者が、自分の満たされない物を大切に預かってくれている、と言う思いに駆られる。でもそれは、誰だってほとんど全てのヒトが持つ欲望である。だから今持ってない物ならなんでも欲しいのだ。

しかしそれは、ほとんど全ての場合無い物ねだりだ。ヘンデルとグレーテルの探し得た青い鳥同様、幸せとは誰かがどこかにそっと仕舞っておいてくれるものではなく、接し合う者が互いに育ち育てていくものなのだ。気使いが気にならないからこそ安らぎや情が通じあえる。

この本でもそれは同じで、探し得たドナーとレシピエントは、一瞬喜びに震えるが乾いた砂の上の水の如く、またたくまにそれは消えていく。確かにあったはずなのにどこへ消えたのか、それとももともとなかったのか迷うほどだ。しばらくするとその訳に気付く。そもそも精子バンクへのオーダーとは何だったのか。いろいろ訳ありには違いないが、父親の存在を不要との判断の末だったはずだ。そして父親が居ない分だけの多めの愛情を、母は子に与えている。おそらく他の親子より、さらにずっと切なる望みと努力の末に授かった子供のはずだ。人工授精なら着床、発生は大変ラッキーなできごとで、全て外れは良くあることなのだ。それだけの執念と期待と手間とお金を注ぎ込んだ末に授かった子供は、少なくとも世界でもトップクラスの愛情を、母親から捧げられていることだろう。望まれて産まれる子供はそう多くはないはずだ。

一方、ドナーはどうだろう。一度の射精で億単位の精子を、若い人なら毎日でも提供できる。この場合はノーベル賞受賞者の、、、とあるからには受賞後の精子だろうと思われるが、この規定は早くに破綻していたそうである。ドナーがその精子の行く末を気に掛けて未練たっぷりに精子を提供した、ということが想像できるだろうか?もしそういった事が気になるのであれば、おそらくドナーへの登録を拒否したことだろう。表題のように年老いてもなお輝かしい功績を次世代の子供に託したい、と執拗に燃えるドナーであればいざ知らず、そこそこの若者で優秀でかつ愛情を持ち合わせていれば、普通の結婚を望むかかなり譲っても顔見知りの恋人に産ませるだろう。つまり、精子は愛情の対象にはならない。子への愛情には少なくとも暖かい吐息とリズミカルな鼓動が必要なことだろう。ドール愛好家には失礼だが。

この本でも正体が割れるのは、無責任でプレイボーイで家族が煩わしいと言うとても尊敬するなどはあり得ないドナー達である。唯一幸せの入り口の鍵は父親がもっている、という期待はことごとく破られる。その鍵は煩わしさへの更なる入り口なのだ。そして親子はまた、その扉を閉める。鍵を掛けて鍵はもう2度と手に取ることはないところへ廃棄される。長年追った青い鳥は追うべきではなかったので、ずっと飼っていた青くない鳥が幸せを運んでいた。

特別な家族、特別な親子、特別な親族なんていない。始まりがどうで、最初が他の人とどれだけ違っていたって、長い時を同じように過ごせばそこに同じような愛情が育ってくる。互いに受け入れ合う関係と、ちょっとのいさかいをたくさん過ごしてなお受け入れ合う時の長さが幸せの関係を築いていく。

仰々しいお祭り騒ぎの末は、大きな生態系の中ですごすヒトの生活があるだけなのだ。

2010年4月2日金曜日

プライスレス

都市の森再生工房は、儲かっているか、と言う課題に触れる。使ったお金と入ったお金の差、それが儲かるか、と言うことである。かかったお金は、運賃、製材費、何度かの桟積み手間、加工、ゴミ処理、、、。売り上げは板であったり、丸太であったり、ベンチ、机、など作品であったり。足して引いて、残高?

と言っては愚痴を書くだけになってしまう。儲かっていないからやめるか?用がないから捨てるか?押し入れの奥の秘宝の数々はどうしてしまってある?座敷は何のため?接待?、、、、、お金で買えない価値がうーんたくさんありそう。貯金残高が減っていくからやめよう、、などと言うことは言うほど容易ではない。つまり、”判っちゃいるけどやめられない”ことが世間にごまんとある。誰もがそうだ。やめられないのはそこに”やめたくない意思”があるから。その意思を発現し、頑固に押し通す偉大な何かがそこにある。

数字だけではないのだ。ありきたりの結末に向かって話は進む。お金以外の多くの物がたくさんまとわりついて、それはお金以上に快感物質の分泌を促す。雑多な私的マイナーコレクション、家並み値段の車、アクセサリーに痩身具、髪染めに毛先の艶。有名な銘木、偶然に綺麗な杢目、、、、、。あえて計算したくない物の数々。価値って何?誰もが他人のそれをくだらないと言い、誰もが自分のそれをかけがえの無いものという。むしろそういったものに生活は支えられている。そう言ったくだらないモノのために目の前の食材がのどに通らないこともある。まずは喰ってから考えよう、とするけど、”判っちゃいるけど~”なのだ。ハンバーガーの栄養よりもスマイルの方に価値を感じる人もいるらしい。

都市の森再生工房 を続けているにも実はそう言った多くのしがらみなのだ。看板に寄ってきてくれて様々励ましてくれる人々や、くだらないことを手伝ってくれる人。あちこちから仕事や要望を届けてくれる人、助言やアドバイスは内容よりも頂けること自体が嬉しく、感謝すべき事なのだ。だから、そう言ったものが途切れたとき、終わるのかな。全てのシャッターが完璧に降りきった時、商店街が消えるようにね。

2010年3月29日月曜日

ノーベル賞受賞者の精子バンク 早川文庫

と言う本を読んでる。いわゆる、デザイナーベビーのこと。アメリカのとあるお金持ちがノーベル賞受賞者から集めた精子を売る商売を始めた。遺伝学的に優秀なお子様を持ってみませんか?という誘いである。1990年代に沸いたこの手のその後の子ども達への追跡調査がこの本の内容である。天才の遺伝子は天才を育んでいるか。はたまた、天才の遺伝子は子供を幸せにしているか、如何に世界に貢献しているだろうか、ということ。

しかし、この手の科学的成果はない、と学術的にされている。その調査は終わっていてそこから天才は生まれていない。それより何より、天才の定義、.優性種の定義、期待すべき成果がどうにも定義できない。いったい何を望んでいるのか、どうなればいいのか、.ということもこの本は前半で触れていて、それもまた面白い。つまり、産み出したい子ども達は何を運んできてくれるのだろうか、ということ。人種差別の源は、というか大義名分は黒人は劣っている、優性種ではないという定義だ。これは「自分は賢いけど自分以外は馬鹿だ、」と大声を出しているのと同じで利己的遺伝子そのものである。それが生き物の本質だろうとは思うけど。遺伝的に優れた白人は劣った黒人を導いてあげなければならない。また、犯罪の遺伝子がユダヤにあって世界平和のためにその遺伝子を絶やせねばならない、とヒトラーは言った。いや、聖書に書いてあるのかな?で、残すべき遺伝子の資質が、定義できない。

ノーベル賞受賞者は残すべき資質か?と言う話しになると、この本に出てくるショックレーはトランジスタの発明でノーベル賞をもらったがとてもつきあいきれない人だったそうだ。アインシュタインの幼少の奇行を誰が温かく見守るだろう。ドキュメンタリーの”人類月へ行く”の最期のエピソードは”飛行士の妻達”というタイトル。ほとんどの家庭が崩壊している。そりゃそうだろう、人類最大の軌跡を残すためにどれだけの努力が必要で家庭サービスを如何に犠牲にするか、何も判らない家族がどうやってNASAとつきあっていくかを想うと、それらの遺伝的資質を誰が歓迎するだろうか。まさしくなんたらの紙一重状態なのだ。おそらく科学者の資質は人並み外れた執念と欲望、集中力と閉鎖性特異性特化性の行く末だと想う。宇宙の果てを探り、物質の無限の細分化を楽しむ心は、だれに喜びと幸せをはこぶだろうか。

ということで、この方向の説は現在では宗教じみた物しか残っていない。鰯の頭状態だ。

ベビー達はどうなっているか。まだ途中までで結論は見ていない。学業は優秀ながらとてつもなく成果が上がっているわけではない。生成期優秀なのは遺伝子のせいか、そう言った嗜好を持つ母親のせいなのかわからない。育つ環境要因は大きいのだ。

つまりだ、生態系にとって遺伝的に優秀かというテーマは意味が無い。子供が増えれば優。血が永らえれば優。というところだろう。

 

どう考えたって、研究室よりは農家や漁師の方が貢献度は大きいと想うのだけど。

2010年1月2日土曜日

2009 年末のこと

 img201001sakura  これが、12月21~23日のこと。大晦日のイベント用を作成した。サクラのベンチ2基です。

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クデ家具という名前で、これは、26,27日。この工事中に電話で、”テーブルはまだですか?年内にできますか?” ときた。あれれ、来年にしようと思ってたのに。

img20101230 大急ぎで、28,29日にポプラの巾2m、長さ190cm、厚さ6cmのテーブルを納めました。

img200931marukafe 31日は、丸カフェの庇修理。腐っていた部分を取り替えました。4m上の作業だったので、30日は足場を造るのに掛かりました。うまく行って良かった。

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img201001 31日夜は、名古屋城の年越しカウントダウンへ行った。めずらしく雪で、どこに何があるのか判らなかった。30分足らずのイベントに半月も準備して。イベントとはこんな物なのかな。サクラのベンチは何処へ、、、、。

と言う具合で、ぎっしり詰まった年末でした。でもまあうまく行って良かった。