木を扱っています。といっても漠然と、,,,

自分の写真
nagoya, aichi, Japan
1956年、名古屋産、工学系、我関せず、刳るものは拒まず去る者は追わず、淡々、

2008年12月11日木曜日

私の仕事 機械開発~木工機械

purekatto

製材業の長男なんです。父は機械好きで、それを曳いている。従業員がいたから、木工仕事はもっぱら任せて、機械設定と修理ばかりしていた。電気もメカも勉強した。

仕事は苦にならないけど、お金の管理はルーズで、仕事と金が繋がらない。仕事はするけど請求ができない。これは今でも曳きずっている。だから会社がつぶれた。責任感もなかったから、今思えば、従業員にはとても失礼なことをしたと悔やんでいるし、責められるべきだと思っている。もう、責める人もいないが。

パソコンは機械カタログで見た外国製のPET、コモドール、タンディラジオジャックに魅せられて始めた。RAM,IO,ASCII、マイコン といった雑誌を読みあさり、ショップへ通った。FDD320KB、8000円の時代。モデムとカナ文字で最先端の通信をした。便利と言うより、調整や設定時間の方がずいぶん長かった。

合板の開発、大学や産業試験場とのお付き合い、パソコンを巡るあれこれでお付き合いを頂いた。木工、自販機の修理、中古機械の整備、なんだかんだとうだうだしていた。

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木造建築プレカットに延べ7年間勤めて、建築を学んだ。建築士の勉強をし、研修に行き、打ち合わせ、入力、梁伏せ、機械操作、修理、いろいろやらせて頂いた。もともとはCAD担当で誘われたのだけれど、あれこれと忙しい時期だった。

プレカットで覚えた建築の知識が縁で、プレカット機械の開発に誘われた。最初の仕事は、登り梁l斜め梁加工機。画面作成と加工検証をした。これは今でも続いている。

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